【馬の背の小径】
このコース、「馬の背の小径 (うまのせのこみち) 」という名前がついています。
「馬の背中のくらいに、でこぼこしているよ」という意味でしょうか?
「馬の背」という名前は、乗鞍 (のりくら) にも付けられていますね。
こちらは、乗鞍の山の稜線 (りょうせん) が 馬の背中のように なだらかだという意味から付けられた、優雅 (ゆうが) な命名だろうと思います。
【水沢競馬場/馬の背の思い出】
馬の背は、思い出があります。
子供のころ (小学生でした)、北上川 (きたかみがわ) の反対側にある 水沢 (みずさわ) 競馬場から小谷木橋 (こやぎばし) を越えて、自宅のある羽田 (はだ/田茂山) まで馬を連れて帰ることがしょっ中でした。競馬馬 (けいばうま) を飼っていたんです。
ある時、裸馬 (はだかうま) に乗って 鬣 (たてがみ) を両手で持って落ちないようにしながら帰った時がありました。馬って、背中に乗るとすごく高くなります。そのうえ、馬が前方の草などを食べようとして首を低くすると、自分の体が前のめりになってしまいます。そういうときは、手綱を引いて首を起こすんです。しかも、小学生の子供が乗ったわけですから、振り落とされても何の不思議もありませんね。良く言うと景色が素敵ですが、もちろんそんなゆとりはありません。
後ろで父親が、競馬場で しこたま飲んで酔って自転車に乗ってついて来たんです。
酔いに任せて、父親が馬を煽った (あおった) んですね。
馬は言われるまま走り出し、だんだんスピードを上げてしまいました。
それこそ、全力疾走で 真っすぐな小谷木橋を駆け抜けたのです。
こちらは、振り落とされないように鬣をシッカリと握るだけでした。
まだ、車がそんなに多くない頃で、それでも対向車が一台すれ違ったのですが、運転手さん車を止めて唖然として (あぜんとして) フロントガラス越しに天井の私を見つめていました。もちろん、顔は引きつっていました。
もう我慢できなくて振り落とされそうになったとき、ちょうど橋の終端に来たせいか馬がスピードを緩めてくれたんですね。「助かったー・・・」。
もし落馬していたら、橋のコンクリート床に激しく体を打っていたと思います。
私は、この世にはいなかったでしょうね・・・。
皆さん、裸馬が小さな子供を乗せて疾走 (しっそう) しているなんて、頭に思い浮かべることができますか?
映画やテレビのドラマのワンシーンにだって、絶対に出てきませんね。
50数年前の郷里・水沢市 (現 奥州市 水沢区) での出来事でした。
何んで、小学生だったとわかるかというと、兄がいて中学生でした。中学校ってどんなところだろうと、子供心に思っていたんですね。それで、まだ小学生の頃の事件だったと思います。
それと、何んで橋のたもとで急に馬が止まったのか? です。
これにも訳があります。よく、父親から聞かされていたのですが、馬は自宅 (塒/ねぐら) が近くなると早足になるんだそうです。橋のたもとで左に折れて北上川の上流側の土手 (堤防) の砂利道に行く必要があります。それで、馬は止まったのだと思います。
もう一つ、父親がしこたま お酒を飲んで馬のお尻で煽った理由ですか? そんなこと、聞けまっせん! 親は絶対の存在でした。その親に向かって 「なんで、そんなに飲むの?」 とか 「馬を煽ったら、暴走することはわかりきっているじゃない!」 なんて言えますか? 言えませんね。何事もなかったように、その日が終わるだけです。
父親、満州から復員して結婚、私や兄、妹を授りました。
お酒が好きで、徹底的に飲んでいました。
復員後に、田んぼの仕事をしないで田んぼのあぜ道でよく寝ていたと祖母が言っていました。
戦争は、それほど過酷なものだったんだろうと思います。
馬の名前は、ダイヨンサンライズ。専属騎手は、高野 長命さんでした。優勝したこともあったんですよ。
あの頃は、馬券 (ばけん) も 親に頼まれて窓口まで買いに行かせられましたね。
今では 馬券はおろか、お酒だって未成年者は買えません。
そういえば、最近は 馬券は競馬場関係者は買ってはいけないみたいですね。少し前に、馬の調子を聞き歩いて馬券を買っている例が摘発されました。
自転車の酔っ払い運転も、もちろん違反です。
小谷木橋、モスラの撮影で使われたことがありました。当時、300mという長さは東北1ということでしたね。
ザ・ピーナッツが 小人 (こびと) になって「モスラーや、モスラー」と歌ったあれです。
岩手県の競馬場は、盛岡 (もりおか) 競馬場と 水沢競馬場の2ヶ所があります。
どちらも、戦争復興の法律でできた競馬場です。
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